Life Itself

生活そのもの

テレビっ子

ここ数日は年末から正月にかけて放送されて録画した特別番組をずっと観ている。
 
複数のテレビ番組を録画していて、どれも長いので観るのに時間がかかってしまう。真剣に観ることはない。ながら観をして、本を読んだり、食事したり、赤ん坊と遊んだりする。別に観なくても何ら問題ないし、観たところで知識を得ることができるようなこともないが、つい観てしまう。志の高い人であれば、なんとも無駄な時間を費やしていると思われるかもしれない。僕もそう思うことはたびたびある。だが、そういった時間もあってもいいのではないかとも感じている。テレビは映画ほど自分を同化しなくてすむし、こちら側に留まりながら、ただ何も考えずに自分をテレビに預けることができる。本当であれば景色のいい場所に行って、ロッキングチェアにでも座りながらぼーっとするのがいいのかもしれないが、そう簡単にはできない。テレビはこのことと同列に語ることはできないが、精神をリラックスさせることができるという点においては、ロッキングチェアに座るのと同じような役割があるように思う。今の若者はテレビ離れしているとか言われるが、僕ら世代よりも若い人たちにとってのテレビの役割がスマホに取って代わっているだけで、基本的な受け持つ役割はテレビもスマホもほとんど変わらない気がする。戒めとしてテレビもスマホも否定したい気持ちになるが、何も考えずにそれらに自らを預けることで救われている人も多いのだろうし、簡単に否定することはできない。
 
僕は中高の6年間、寮に住んでいたこともあって、それまで大好きだったテレビから離れざるを得なくなった。その反動からテレビに執着しているところがあるのかもしれない。父も昔からテレビっ子で、今もテレビっ子ならずテレビじじぃである。母もいつもテレビを観ている。家族揃ってテレビ好きだ。
 
妻は僕ほどのテレビっ子ではないけれど、僕がテレビを観ていると、たまに一緒になって観て笑ってくれる。僕は妻が一緒にテレビを観てくれるのをとても嬉しく感じる。寮に入るまで家族でテレビを観ながら笑った思い出があるからかもしれない。対面で笑いあったわけではなく、テレビを観ながらテレビに向かって笑っただけのことだが、僕にとってそれは幸せな思い出だ。もちろん対面で笑いあった思い出もたくさんあるが、テレビを観ながら笑い合ったのも同じように幸せな瞬間だった。テレビを観て笑い合っていても、1つのことを共有して笑っていることに違いはないのである。
 
今のこの時期は重度のテレビっ子になっているが、録画したものを一通り観たら、テレビを観る時間を少しずつ減らしていきたいと思っている。スマホを触る時間も。テレビを観て何も考えない時間はあっていいと思うが、それが長すぎるのはよくない。
 
以上、テレビを観ることへの言い訳と戒め。