Life Itself

生活そのもの

2018/11/08

帰宅後すぐに赤ん坊の顔を見に行くと、赤ん坊は僕の顔を見るなり表情がみるみる険しくなって、ついには泣き始めた。赤ん坊が泣くと僕はいつも『やさしさに包まれたなら』を歌うのだが、メロディーがいいのか、口の動きがいいのか、歌うとたいてい泣き止んで笑ってくれる。魔法の歌だ。荒井由実様様。細野さんのベースも最高だよね。てなわけで赤ん坊が泣き始めてすぐにこの魔法の歌を歌うとすぐに泣き止んでくれたのだが、歌うのを止めると僕の顔を見てまた表情が険しくなる。泣く、歌う、止める、険しくなる、泣く、歌う、止める、険しくなる、泣く。と繰り返していくうちに魔法の歌も効かなくなってきて、何をしても僕の顔を見ると泣くようになってしまった。妻が駆け寄ってくると赤ん坊はようやく泣き止んだ。仕事から疲れて帰ってきて、可愛い赤ん坊の顔を見たいなぁと真っ先に赤ん坊のところに行って、満面の笑顔で赤ん坊の前に行くと泣かれてしまう、こんな悲しいことってない。
 
育児書を読むと、この時期の赤ん坊は、母親以外に人見知りするようになることもあるそうだ。僕は人見知りされているのだろうか。それとも単純に僕の顔が、僕の笑顔が生理的に受け付けないんだろうか。
 
しかし、幸い、僕が沐浴を入れている間は、僕の顔を見ても泣かなかったし機嫌もよかった。その後は僕の顔を見ても泣くことはなくなった。たぶん今は僕に人見知りしていない。
仕事に行っている9,10時間ほどの間、赤ん坊と接しないのがいけないんだろうか。昨日に引き続き同じ内容の日記だが、僕の顔を見て泣く赤ん坊には堪えてしまった。世の中のお父さん、おそらく僕の父も含めて、多くの人が経験していることなのかもしれないが、とても辛い試練だ。