Life Itself

生活そのもの

2018/10/20

昨日書いたヨガスートラの感想文を妻に見せると結構なツッコミを受けたので、大幅に加筆・修正した。結果的にはよかったと思う。

あまりスピリチュアルに寄らないように心がけたが、テーマ上、多少スピリチュアルになるのは致し方がない。仕事後に感想文の修正にとりかかり、先程終えたばかり。

書きながら、ヨガをするしないにかかわらず、ヨガスートラはとても面白い本であると改めて感じた。

日記を書くには疲れすぎてしまったので、修正したものをあらためて載せる。

 

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日本語訳でも数冊出版されているヨガスートラは、どの本を読んでも難解な印象を受けますが、通読すること自体はそう難しいことではありません。どの本も現代の状況に置きかえて丁寧に解説されています。ですが、本を読むだけではこれほど手応えを感じにくい本もそうありません。それは、ヨガスートラが実践を、自らが体験することを強く要求するものであるからだと思います。
 
哲学書の類は、本を通読することで、哲学者が辿った思考を追体験することができるという意味において大きな体験の一つとなり得ますが、ヨガスートラは読むことが体験となるような書物ではありません。
 
ヨガスートラは、読むことで体験するのではなく、読みながら体験するものです。ヨガをしながらヨガスートラを実践する。普段の生活でヨガスートラを実践する。これは、普段ヨガを学んでいる方には受け入れやすいものであるかと思いますが、実践する、体験するということはあくまで個人的なものに留まります。
 
ヨガスートラの講座では、ヨガスートラを読みながらその場で体験し、実践します。また、各々が体験したことを持ち寄って共有し合います。○○先生は講座のオーガナイザーであり、進行役を務められますが、○○先生も含めて皆でヨガスートラについて考え、実践します。
 
ヨガスートラを通じて体験・実践したことは、参加者によって異なります。講座の中でのそれぞれの体験・実践について共有を行うことで、その体験・実践の意味は変化していきます。その体験は個人に留まらず、大きく膨れ上がった体験となります。本を読むだけではただ頭の中を通過していったものが、大きな体験として身体と心に残ります。ヨガをすることで身体や心に変化が生じることに気づくように、ヨガスートラ講座の後には、講座の前とは変化が生じていることに気づきます。
 
個人的には、第一子が産まれた直後に講座に参加できたことはとてもいい経験となりました。赤ん坊と接していると毎日変化を感じます。特に新生児の頃は、決して大げさではなく、母乳を飲むたびに、便を出すたびに、泣くたびに変化があるように感じていました。
 
3.47 grahana svarupasmitanvayarthavattva samyamad indriya jayah.
サンヤマの状態では、物事を知覚し認識し反応するプロセス、自我と感覚器官との関係性に精通できる
 
ヨガスートラの講座最終日だったと思いますが、上記の節について考える機会がありました。
 
生後2ヶ月を経過したばかりのこの頃の赤ん坊は、泣き方に多様性が見られるようになっていて、また喃語を発するようになってきた時期でした。
喃語なのか泣き声なのか判別ができないような声の出し方をすることがあれば、猫のように短い泣き声を何回も出してなにかを訴えかけるような泣き方をすることもありました。
泣きそうな顔で踏みとどまっているような表情を見せるときは、目を見ながらあやすと笑顔に変わりました。きっと赤ん坊は、身の回りで知覚したものに対して、心の動きを表現しようとしていたのだと思います。心の動きを表情や仕草として出すことがまだ難しかったのかもしれません。
 
赤ん坊は起きているとき、絶えず色んなところを見ていました。そこで何かを知覚して、それに対して反応しようともがいていたように見受けられました。
この頃の赤ん坊は、身の回りにあるものを知覚して、ようやく認識できるようになってきて、そしてそれに対して反応しようとしていたのだと思います。
赤ん坊を見ていると、この知覚、認識、反応というプロセスがとても緩やかで、その緩やかさがとても新鮮に感じられました。
 
それはかつて私たちもいた世界なのでしょうが、遠いむかしに置いてきてしまったもので、大人になった今では、知覚、認識、反応のプロセスはとても速いものになっています。知覚したあと、条件づけされた記憶に基づいて認識し、それに対して繰り返し行ってきた反応の仕方を当たり前のようにします。
赤ん坊の知覚、認識、反応のプロセスの緩やかさに接したこと、また参加者の方々とこの節について対話をしたことで、 上記「3.47」の状態というものがどのようなものかなんとなく実感できました。私にとって、それは知覚の喜びに満ち満ちた世界のあり方です。
 
ヨガスートラは、実生活の体験と結びつくことで、生き方をとても豊かにするものであると思います。しかし、冒頭でも書いたように、1人でヨガスートラを読むだけではそれは感じにくいことです。
○○先生の講座を受け、皆で考えを対話を重ね共有し合うことによって、ヨガスートラは生きた書物となります。
 
インド哲学やヨガスートラに少しでも興味をお持ちでしたら、複数名で一緒に学ぶことができるこの機会に参加されることを強くお勧めいたします。