Life Itself

生活そのもの

2018/10/16

今日は在宅勤務日だったが、赤ん坊がよく泣いていた。
 
午前中に1時間ほど眼科に行くために妻が外出したので、僕はモニターを見ながら別の部屋で仕事をしていたのだけれど、赤ん坊がカメラを掴もうとして動くので、画面が赤ん坊をとらえない。仕方がないから、PCを持って赤ん坊の部屋に行き、赤ん坊の視線に入る場所で仕事をしていると喃語を発してしきりにうったえかけてくる。そうなると僕も放置することはできない。とりあえず一旦PCを閉じて赤ん坊と触れ合うことにした。これがいけなかった。
 
数分赤ん坊と遊んでPCを開けて赤ん坊の目の届くところで仕事をしていると、赤ん坊の喃語はどんどん大きくなってきて、声で返事はするのだけれど、それでは満足してくれないらしく、喃語は次第に泣き声へと変わっていった。一度泣き声へ変わると、あとはもう何をしても泣きっぱなし。仕事をしながら片手間にあやそうとすると、「なめんなこら」ってな感じで、わなわなと唇を震わせて最大音量で泣き始めた。それでも片手間にしかあやすことはできない。妻が帰ってくるまでなんとかごまかしてあとは妻に任せることにしたのだけれど、それ以降、機嫌がよくなる時間があっても長続きせず、1日中よく泣いていた。育児なめんな、と忠告を受けた感じだ。
 
 
おそらく今日一番機嫌が良かったのは、僕と一緒に本を読んでいたときだと思う。以前も書いたが、赤ん坊は本が、というか文字が好きだ。レシートを見せるだけで大喜びする。
 
昼休みに町田康の『ギケイキ2』を読んでいると赤ん坊が気になっている様子で、腕はきつかったが、体を仰向きに寝かせて赤ん坊と一緒に読めるように本を持ち上げて読んだ。すると赤ん坊は文字を追っかけていて、手足をバタバタさせながら超ご機嫌になった。観察していると、その文字の追い方は、どっちかというと視線を「置く」感じで、上から下に視線を移していくのではなく、広げた2ページの中から気になる文字を見つけているようだった。気に入った文字があると喜ぶのだろう。文字を文字で認識しているのではなく、ただ面白い何かとして文字を見ているのだと思うが、文字の何が惹きつけるのだろう。本好きとしてはとても気になるところだ。
 
このまま成長して、ぜひ本好きになってもらいたいものだが、そこに至るまでの過程、そう遠くない未来ではきっと本を破りまくるだろう。本を見つけては破る、本を見つけては破る。赤ん坊あるあるのようだが、僕にとっては悪夢でしかない。本の整理もしなければいけない。