Life Itself

生活そのもの

2018/10/02

体や心がどんよりと停滞した状態のときは、そこに激質なもの、熱を与えてあげたほうがいい。それは体験上、なんとなく感じることができる。
 
流れるままに、ありのままにというものほど難しいものはない。あるがままの状態で生活していくためには、そのあるがままの状態がある程度清らかである必要がある。どんよりとした状態をわかっていて、ありのまま生きていくというのは、諦めの境地であり、たぶんそれは他人から見ても「わかった風」にしか捉えられない。
 
今の世の中は、情報に溢れた競争社会がある一方で、その反発としてかわからないが「ありのままであるべきだ」という風潮があるように思われる。ヨガが流行っているのもきっとそういうところからきている。性格的にあまりガツガツしたところがない僕にとっては、「ありのまま」という考え方がすごく心地よかった。それで、バガヴァッド・ギーターだったり、ヨガスートラだったり、その他ヨガ関係の本をたくさん読んだし、タオの本も読んだりした。でも、ありのままでずっといることにどこか違和感がでてきた。たぶん心地よくなくなってきたのだと思う。単にぐーたらぐーたらしていて、何もしていないような気になった。実際に何もしていなかった。
 
ありのままである前に、自分のいまの状態というのをしっかりと把握しなければいけない。どんよりと停滞していたり、逆にガツガツと熱を持ちすぎていたら、それを中道に持っていくように努力すべきだ。中道に持っていくやり方として、ヨガや瞑想はとても有効な方法だと思う。
 
ありのままというのは努力した先にあるものだと思う。赤ん坊はありのままでいいけれど、一度言葉を覚え社会に出てしまうと、いろんな垢にまみれてしまう。垢がついたまま、ありのままでいるというのはとても不潔だ。努力して垢をとったあとに、ありのままであればいい。
 
どんよりとしがちな僕には、熱が必要だ。並大抵の熱では、このどんよりした感じは解消されない。
ありのままでいるという気持ちはしばらくは忘れたほうがいい、最近そんな気持ち。