Life Itself

生活そのもの

2018/09/25

赤ん坊は、松谷みよ子の『いない いない ばあ』をとても気に入っている。特にくまさんの絵がお気に入りのようで、絵を見るとニコッと笑う。そのうちくまさんのぬいぐるみも買い与えることになるのかもしれない。
絵本を広げると、じっと集中して見る。本好きとしては、どんどん本に興味を持ってくれると嬉しい。
 
ベビーベッドにS字フックでビニール袋を下げているのだが、その方向を向いて赤ん坊が声を上げて笑っていた。ビニール袋に視線が向いているといえばそうなのだが、たまにそこから視線がずれることがあって、何に対して笑っているのかわからない。妻が言うには、授乳中にその口を振り払ってそっちの方向を向いて笑うことが何度かあったらしい。赤ん坊には何が見えているのだろう。僕はあんまり信じないが、もし何か幽霊のようなものが見えたとしても、赤ん坊はきっとそれを幽霊や怖いものとは認識しないし、幽霊から愛想よくされればそれに応えることだろう。ビニール袋に対して笑っている可能性は高いけれど(僕がそう思いたいだけだ)、たとえそうでないとしても、赤ん坊にしか見えていないものがあるとしても、赤ん坊の世界には別け隔てなくすべてのものが映っていて、きっとそこではビニールも幽霊も同列で、もっと言えば僕も妻も同列かもしれない。
 
赤ん坊が見たものはトトロのまっくろくろすけのようなものかもしれないが、赤ん坊はまっくろくろすけという名前すら必要とせず、そこにただあるものとして見て、面白いものだと思えば笑うだけだ。赤ん坊は何を面白いと感じているのか。ひとつは僕らの笑顔だ。ひとつはくまさんだ。ひとつはクラシックの音楽だ。そしてもうひとつはビニールかもしれないし、幽霊かもしれないし、まっくろくろすけかもしれない。わからないけれど、赤ん坊はものを対象化して見てはいないような気がする。赤ん坊(見ているもの)と対象(見られているもの)は、僕らのようにはっきりと分かれてはいなくて、もっと曖昧で、すべてが赤ん坊の中にあるもの、赤ん坊を包むものとして見ているのではないだろうか。