Life Itself

生活そのもの

2018/09/07

昨日2回目の『なずな』を読み終わったが、今回も読み終わる頃になって、話が終わってしまうこと、主人公のもとからなずなが去ることがとても寂しくなった。一旦は妻に貸して、そんなに期間をあけない内に3回目を読みたいと思っている。
 
今日は僕の誕生日だったが、家で映画を1本観た以外はほとんど何もしなかった。妻からプレゼントをもらい(僕が自分で選んだシャツだ)、一応ケーキももらって一緒に食べて、あとは赤ん坊をあやしたり風呂に入れたり、普段と何も変わらない1日だった。
誕生日というのは、子どもの頃はプレゼントをもらったり皆で祝ってもらったりと普段とは変わらない特別な1日という感じがしたが、社会人になってからは、単に歳を1つ重ねるだけの1日になってしまった。今日もそんな感じだ。誕生日だという意識はあるが、だからと言って嬉しい感覚はほとんどない。
 
だが、誕生した瞬間に立ち会った親にとって、子どもの誕生日というのはとても特別なものである。まだ娘の1回目の誕生日すら迎えていないが、それを迎えるということが、どれほど嬉しいものであるかということはわかる。僕の子どもの頃の誕生日が特別な日という感じは、親にとってのその嬉しい感覚が、きっと僕にまで伝わったのかもしれない。まだ今の時点では、いつまで子どもの成長のことが心配に思うかはわからないが、少なくとも小学校を卒業するまでは心配に思うかもしれない。
 
成人してからは、僕が誕生日を迎えても祝いの言葉をかけてくることはなくなったが、少なくとも母は僕が誕生日を迎えたということを認識している。成人するまでの成長を見届けることができて、僕の誕生日が特別な日である感覚が薄くなったのだろう。だが、僕は子どもの頃の誕生日の特別な感じをずっと覚えている。誕生日をそんな特別な日と感じさせてくれた両親に、今更ながら感謝の気持ちを感じている。