Life Itself

生活そのもの

2018/07/17

すぐ近くに新しいマンションの建設予定地との大きな看板が立っている。僕が住んでいるあたりは駅からも近く、また繁華街までも歩いていくことができるため、とても人気の場所だ。大きな商業施設も近いことから駐車場も多く(バカ高い値段を設定している)、更地になったと思えばすぐにマンションか駐車場ができる。僕が住み始めてから7年が経過したが、周りの景色も少しずつ変わりつつある。
 
子どもの頃から、僕が住んでいるマンションには遊びに来ていた。祖父母が住んでいたからだ。マンションの入口玄関からいい匂いがして、子どもながらも高級そうな都会の雰囲気を感じ取り、いつも憧れていた。まさか自分が住むことになるとは思わなかった。僕が福岡に引っ越すことが決まったタイミングで、マンションの一室が空いたことを祖母が教えてくれたのがきっかけだった。
このマンションも築40年近くになるはずだ。とても古く、今では高級そうな雰囲気は全くない。入口玄関のいい匂いもどこかに消えてしまった。部屋は昔の作りだから、使いにくい。和室が2部屋。部屋は全部で5部屋あるので広いはずだが、間取りが悪く、とても狭く感じる。その狭い部屋の和室のベビーベッドで、娘は今すやすやと寝ている。
 
今日、久しぶりにヨガの勉強会で「あなたにとっての幸せとはなんですか?」と言われ、困った。ヨガの先生ばかりいる中で、普通のことを言ってはならないような気がして、どうにかヨガ的なことを言って場を濁した。そんなことは先生は望んでいないことはわかっていて、言った直後からとても恥ずかしい思いが込み上げてきてすぐに後悔したものだが、でもやはり僕が今幸せだと感じていることはヨガ的なことからは少し離れているような気がする。僕にとっての幸せとは、使い勝手の悪い小さな和室で妻と一緒に娘を見守り、いい音楽を聴きながら本を読んで、たまに映画を観たり、ドライブするくらいのことだ。すべてはこちら側の世界のことで、ブラフマンアートマンの世界からはかけ離れた通俗的で限定的なものかもしれないが、今の僕にはそれ以外考えることができないのである。