Life Itself

生活そのもの

2018/05/29

明日は僕の両親が福岡までやってくる。1つはもうすぐ臨月になる妻の様子を見るため、もう1つは余命1年と宣告されて既に半年以上経過した祖母の様子を見るため。これから産まれてくる命と、この先の余命について宣告された命。どちらも同じ命、僕ら家族みんなに関わる大事な命だ。

そんなに頻繁に会うわけではないけれど、たまに会いに行くと祖母はとても元気だ。特に妻と話すときに元気になる。遊びに行くと必ず妻に何かしらのプレゼントを用意していて、妻が喜ぶ様子を見せると、子どもみたいに高い声で嬉しそうに笑う。何の見返りも求めず、単純に妻に喜んでもらいたいからプレゼントしている。妻は実際に喜んでいるし、感情を表現するのが上手なので、祖母にとっては妻の反応が生きがいみたいなものなのかもしれない。

祖父と二人三脚でずっとビジネスをしてきた祖母は、昔はとても厳しかったという。僕の母に言わせると、たまに鬼のように怒ることがあって、会うのがとても怖かったそうだ。僕に対してはいつもニコニコしていて、怖いイメージは全くないが、母が祖母を恐れていたことは子どもながら気づいていた。それが祖父が亡くなる前後あたりから、仏のように優しくなったのだと母は言う。祖父が生きていた頃は、会社のある佐世保と週末をゆっくり過ごすだけの場所である福岡を毎週行き来していたが、祖父が亡くなってからはずっと福岡にいる。祖母にとっては週末がずっと続いているようなもので、しかも毎晩娘、孫、ひ孫と会っている。祖母は「おっきいばあば」と呼ばれている。

最近の祖母を見ていると、仏ではなくて天使のように見える。僕の言う天使のイメージはフランダースの犬が死んだ後に天国に連れて行く、あの小さな可愛らしい天使だ。最近の祖母はとても可愛い。一生懸命生きて、目の前のことに一喜一憂する。その笑顔は全く汚れが見えない。

赤ん坊が無事産まれれば、祖母にとってはおそらく12人目のひ孫になる。抱っこはできないだろうし、まだ顔の出来上がっていない赤ん坊の顔を覚えてもらうのは難しいかもしれないが、生後数ヶ月後の子どもの笑顔を祖母に見せたい。そして、祖母の笑顔を子どもにも見てもらいたい。