Life Itself

生活そのもの

2018/05/20

ヤフオクドームの外には、著名人の手の銅像が並んでいて、「暖手の広場」と呼ばれるエリアがある。今日久しぶりにそこに行って、色んな人の手の銅像と握手をしてきた。

 

藤子不二雄Aの手は結構大きくガッチリしていて、藤子・F・不二雄の手は小さくて華奢だった。原田知世の手は、小さいが、指が細長くてとても綺麗な手だった。驚いたのはPaul Simon。妻の手と同じくらい小ぶりな手だった。あの手から様々な名曲が生まれているのか。

 

握手した時の手の感触というのは残りやすいような気がする。10年ほど前に亡くなった祖父とは、家に遊びに行ったときには帰る間際に必ず握手するようにしていて、何度握手したかわからないが、今でもはっきりと手の感触を思い出すことができる。

The BandのLevon Helmとはたった一度だけ握手しただけだが、僕の思い入れもあってか、今までで一番印象に残る握手だった。思っていたよりも手が大きくて、力強い握手だった。

Solomon Burkeとも握手したが、大きな手でとてもあたたかった。

 

握手は人と挨拶する際の世界共通の行為だと思う。だが、日本では他の国と比べると握手する機会は少ない。祖父と毎回握手していたのは、祖父が「シェイクハンズ」をグローバルな挨拶の行為として、僕ら孫に示していたからだ。そのおかげで、祖父の手の感触が今でも残っている。対して、大好きだった祖母の手はあまり思い出すことができない。はっきりと覚えているのは、亡くなる前にさすった時くらいだ。そのときには、とてもか細い手になっていた。

数ヶ月アメリカに行った時は、何度も握手をした。人と会ったらとにかく握手。中にはもう忘れてしまった握手もあるが、はっきりと覚えている握手の方が多い。人の顔と同じくらい、手というのは印象に残るものだ。

日本人はもっと握手をした方がいい、とまで言うことはできないけれど、少なくとも祖母に対しては祖父と同じように握手をしておけばよかったと今になって少し後悔している。握手という行為を教えてくれた祖父には感謝したい。アメリカでは何度も握手をしたが、それはアメリカにいたから。日本にいると、人と握手するのは少し恥ずかしい。こっちから手を差し出すのは勇気がいる。だが、今日「暖手の広場」に行って、色んな人の手の感触を思い出し、もっと人と握手をしていきたいと思った。