Life Itself

生活そのもの

2018/03/24

本当に珍しくというか、たぶん初めて日記がここまで続いている。読んでくれている人がほとんどいなくとも、誰でも確認可能な形で公開しているのがいいのかもしれない。

 

帰宅して夕食をとりしばらくダラダラしてからパソコンの前に座る。パソコンの前に座ってもしばらくはネットサーフィンをしたり、レコード聴いたり、本を読んだり、とにかくすぐには書き始めない。億劫なのだ。億劫だと思い、後回しにして、気が済むまで時間を潰してようやく書き始める。なに、大したことは書かない。それは読んだ人なら誰でも知っている。新しいことはほとんどない。仕事をして帰宅して寝る。たまにヨガをして、ウクレレをする。書くべきことはなにもない。それでも書く。億劫だと思いつつ、書いている。習慣になっているかと言えば、そうでもないような気がする。

ヨガの先生は、タバコを止めようと何度も思ってそれでも止めることができなかった。それで、今度タバコを吸ったら死のうと考えたらしい。自分は騙すことができない、自分を騙してタバコを吸って知らないフリをすることはできない。今度タバコを吸ったら自分を騙すことになる。自分だからそれを見過ごすことはできない。タバコを吸ったら死ぬのだ、と。騙すという言葉ではなくて、裏切るとかそういった言葉だったかもしれない。だいたいそういう意味だ。僕も今はそれに近い感じで日記を書いている気がする。いつでも止めることができる。一日くらいサボたって構わない。でも、日記を止めたりサボったりすれば、誰よりも僕が一番に気づく。僕以外には気づかないか。止めたら死ぬとまで考えているわけではないけれど、なんとなく自分を試しているような感じはある。

理性的な人間だと言われることがある。褒め言葉なのか、けなしているのかはわからない。僕はもっと感情的に生きたいと思う。いつも理性が邪魔をする。理性が抑えすぎている。とんでもなく詰まらないところで踏みとどまる。この理性は何なのだろうか。何がこの手綱を握っているのか。真我か。業か。それをなんと言おうと、意思で越えたいと最近考えている。

毎日日記を書いていると、確実に1日1日過ぎているということを感じざるを得ない。最近はとくにそうだ。子どもの出産予定日まで99日。出産予定日まで1日1日が確実に過ぎていく。1日1日を刻む、日記とはそういうものなのだろう。明日以降も億劫だと思いながらも書き続け、刻み続けていく。