Life Itself

生活そのもの

2018/03/18

今日はヨガの講座に参加してきた。その帰りに妻が瞑想の時間を大切にしていきたいと言っていた。

 

今日の講座ではペアワークなどで汗ばむ程度に少し体を動かした後、数分だけ瞑想の時間があって、その時間は僕にとってもすごく心地よかった。余計な考えが頭に浮かぶこともなく、呼吸にだけ意識が向いている時間。短い時間だったことから集中できたということもあるだろうが、逆に言えば瞑想は短い時間でもいいということだ。それはずっと通っているヨガ教室の先生も言っている。何も数十分、数時間も瞑想の時間を取る必要はない。5分だけでも毎日瞑想する時間、瞑想的な時間を取ることの方が大事だと。

妻は2年ほど前にヨガのリトリートに参加するためにタイに行ったことを思い出していたようだ。僕も付き添いで参加した(そんな軽い気持ちだったから、現地では何度もきつさで倒れそうになった)。タイのチェンダオというところで、自然豊かなとても空気の綺麗な場所だった。芝生の上にヨガマットを敷くか、何も敷かずにただ芝生の上で日が暮れるまでヨガをしていた。毎日早朝に必ず30分瞑想をして、日中のレッスンでも瞑想をしたし、ショートトリップで洞窟に行った時も瞑想をした。それまで30分以上瞑想をしたことは数回しかなかったけれど、どの瞑想も何の苦痛もなくただとても心地よかった。日を経ていくごとに体や心が浄化されていく感じがした。自然の中に身をおいて、芝生や木々などの自然と接して太陽の光を浴びながら瞑想するということがあれほど心地の良いものかと思った。同じく自然豊かな苗場でErnest Ranglinの音楽を聴いていた時も同じような心地よさがあった。瞑想は極上の音楽ほど、もしかしたらそれ以上に心地よいものであることをその時初めて知った。

今日の瞑想は数分だったし、あまり広くもない部屋の中で太陽の光を感じることもなかったが、あの時の感覚と似たものは確かにあったかもしれない。先生の瞑想への導き方がよかったのだろう。瞑想をして心が落ち着くというのは、体内にいる生命にとっても良いことだと思う。毎日一緒に瞑想しようかな。