Life Itself

生活そのもの

2018/03/15

ヨガスートラの勉強会で、痛みの感覚から引き離すということが話題に上った。ある人は陣痛の時、尋常ではない痛みが襲ってきたが、その痛みにとらわれてしまわないよう自分を引き離して結果一度も泣き叫ぶことはなかったそうだ。神秘的な体験だったと語っていた。

 

痛みから引き離すということを考えるとき、最近よく思い返すことがある。つい最近の歯痛のことだ。最初に歯に痛みが走った時、僕は自分の思い違いかどうか判断ができなくて、でもその痛みらしきものを認識した瞬間から痛みのことが気になり、虫歯だと思い込むようになった。その5日後、確実に存在する痛みを虫歯によるものと思い込みながらも、どこかではただの勘違いの可能性もあるなと自らを疑って気持ちを持って歯医者に行った。レントゲンを撮った後に診てもらった結果、虫歯はないとのこと。やはりそうか、痛みそのものも勘違いだったのか。そう、僕は「やはり」という言葉をその時心の中で使ったはずだ。その答えを予期していたかのように。虫歯ではないと言われて、痛みは徐々になくなっていった。

だが、それから1週間くらいしてから、朝起きた時に歯に激痛が走った。水を飲むと顔全体に響くくらいのズーンとした痛みがあって、とても耐えられそうではなかった。前回行った歯医者に電話したが、予約で一杯だという。それで別の歯医者を探して診てもらった結果、神経がやられているとのことだった。

自分の感覚が信じられなくなった。痛みを引き離したのか、それとも虫歯ではないと言われた時に自分の勘違いであると自分自身を納得させて痛みをないものとしたのか、いずれにしろ痛みは痛みとしてあったわけで、勘違いでもなんでもなかったのである。自分の気持ち一つで痛みなどどうにでもなるということなのか。今まで神経質だと思っていたが、鈍感なのかもしれない。これも思い込みだ。体が発するサインをサインとして受け取ることができないのである。自分の感覚を過信しすぎてもいけないし、見くびってもいけない。自分の感覚だけにありのままというのはとてもむずかしい。