Life Itself

生活そのもの

2018/02/24

今日は朝から足と腰がずっと重かった。GOMAさんのディジュリドゥの音と、言葉が今日もずっと残っている感じがあった。

 

以前、ヨガのシンギングボールを体験した時に、翌日になると頭痛などを発症することが多いが、浄化作用の一種なので気にしないようにと言われた。昨日のディジュリドゥが体に影響を与えているかどうかはわからないが、あれだけ体に響いてくる感覚があったのだから何かしらの影響はあってもおかしくない。

 

昨日のGOMAさんの言葉で思い出したことがあった。これまで意識というのは脳からきているものだと思っていたが、高次脳機能障害を発症してからはそうではないような気がしている、と。茂木健一郎さんは、脳科学の最先端では意識がどこからきているのかということの研究がまさに行われているところだとGOMAさんに言ったらしい。

妻の中にいる子どものことを思う。いま彼女に意識はあるのだろうか。いや、意識はあるだろう。最近はよく妻のお腹を蹴って、妻がそれに答えて、とコミュニケーションを取っている。たまたま妻が答えたあとに蹴っているのかもしれないし、果たしてそれがコミュニケーションなのかはわからないが、動いて蹴ってという行為自体には意識が伴っているのだと思う。どのような意識なのだろう。僕らの意識とはまったく異質なものかもしれない、未発達だから弱い意識というのではなくて、僕らが意識と呼んでいるものとは異なるもの。あらゆるものが生成し、形として現れ始めていっている中での意識。意識の始まり。彼女の意識はどこにあって、どこからきているのだろう。