Life Itself

生活そのもの

2018/01/24

手動瞑想という瞑想法を教わった。

この瞑想法はシンプルで、決まった手の動きを繰り返して、その間、手に意識を向けながら半眼で瞑想を行うというもの。

YouTubeに動画が上がっていたので、貼っておく。

 


プラユキ・ナラテボー師 瞑想実践

 

動画を見てもらえばわかるように、特に手の動かし方は難しいことはなく、何回か繰り返せばすぐに覚えることができる。5分も動かし続ければ、あまり意識せずともリズムで動かすことができる。

手に意識を向ける、手に気づき続けるというのがこの瞑想法が重要視するところのようだ。

 

動かし方はシンプルではあるけれど、瞑想を始めて最初の何分かは動かし方をしっかりと覚えきれていないこともあって、一動作一動作確認しながら動かしていたので、手と言うよりは手の動き以外にはほとんど何も考えていなかった。少しずつ慣れてきくると、手のひらの感触への気付きが生まれ、また同時に呼吸に対しも意識を向けるようになっていった。

数分続けるとあまり意識せずとも手を動かし続けることができることからか、少しずつ邪念が入り始めた。だが、邪念が入ったと気づいたときに、すぐに手の動き、手そのものに意識を戻すことで、瞑想に戻ることができる。邪念が入った時に呼吸に意識を戻すといったいつもの瞑想法のやり方と同じではあるのだけれど、意識せずとも呼吸は続くのに対して、手は自分の意思を働らかせて動かしているのだから、邪念が入ってきたとしても手への意識は薄れてはいながらも働いている。手の動きが自動化してきて手への意識が薄らいでいくと邪念が入りやすくはなってくるのだと思うが、手が動いている限りは手への意識がなくなったわけではないので、一度しっかりと手に意識を戻せば再度気づきが生じ、その気づきというものは、これまでやってきた瞑想よりも長く続くような気がする。

難しかったは手を動かすリズムで、あまりにもリズミカルにやってしまうと自動化しやすくなるし、かと言って気づきの妨げにならない程度にはリズムをつける方がいいように思った。

 

手には知性が宿るのだという。この手動瞑想は、手のひらを開いたままの状態で行い、動きの中でお腹・胸・膝に手のひらをあてる。当たり前の話だけれど、触る箇所によって手のひらの感触は異なるし、同じ箇所であっても動きを繰り返していく内に異なった感触を覚えることもある。手のひらは微細なところまで感知する。

 

とても面白い瞑想法だと思った。

 

 

数時間前から少し喉が痛くなってきた。風邪を引いてしまったかもしれない。