Life Itself

生活そのもの

初めて「疲れた」という言葉を使った日

今日の仕事は疲れて疲れて疲れて…。新年初めてこんなに仕事で疲れた。何でも新年初めてと言えばいいもんでもない。あー、疲れた。
 
疲れたと言えば、僕は初めてこの言葉を使った時のことを覚えている。
 
幼稚園の年中だった。友だちが遊び終わった時に疲れたと言って、僕は疲れたという言葉の意味がわからなかったからその友だちに聞いて、でもたぶんその友だちも何となくしか説明できなくて、僕もただ何となく理解しただけだった。だけど、僕はその覚えたての言葉を使うのが嬉しくて、母に迎えに来てもらって家の扉を開けた時に得意げに「あー、疲れた。」と言った。すると母がすごい剣幕で怒り始めて、「そんな言葉どこで覚えたのね!教えた覚えはないよ。疲れたなんて言いなさんな」と言われた。なんでそんなに怒られたのかわからなかったが、僕はそれから隠れて疲れたという言葉を使うようになった。
 
疲れた言葉を初めて使ったのがその時だとして、疲れたという感覚を初めて味わったのはいつだったのだろうか。その時は本当に疲れたという感覚があったのではないと思う。ただ面白がって、疲れたと言っただけなのだ。疲れたという感覚にはそこにはない。
感覚よりも先に言葉があった。感覚が言葉に追いついたのはいつだったのだろう。今日は確かに疲れている。言葉に出して疲れたと言わずにはいられないほど疲れている。疲れ方にもいろいろあるとは思うけれど、体のこの倦怠感を覚えたのはいつだったんだろう。
 
母が疲れたという言葉を教えようとしなかった理由はすごくわかる。僕も自分の子どもにはあまり疲れたという言葉をあまり教えたくない。
疲れたと思う前にあくびをしてほしい。疲れたと思う前に目をしゅぱしゅぱしてほしい。疲れたと感じたらすぐに寝てほしい。疲れたとわざわざ言って寝るようにはなってほしくないなぁ。
 
気をつけろ、疲れたと言ってしまうが最後、その疲れに押しつぶされそうになるぞ。疲れているのに、疲れたという言葉にとらわれて、眠れなくなるなんてこともあるんだぞ。
 
あー疲れた。さて、風呂で本を読もう。