Life Itself

生活そのもの

2018/01/05

無常ということをまざまざと感じさせられた1日だった。

 

昨日も書いたように、家に着いて猫の姿を見たときには本当にぐったりしていて、目の力もなく、やせ細っていて、あまり反応がないことに大いにショックを受けた。だが、今日家を出るときにはたくさん鳴き、母と父に甘えてスリスリして、ふみふみして、グリーン色の目はまん丸と力強く開き、僕がなでると気持ちよさそうに反応していた。こんなに元気なのは本当に久しぶりらしい。昨日と今日でこれほど体調の変化が見られて、母も父も驚いていた。

 

明日、糖尿病の検査をしに、病院に連れて行くとのこと。ここ数日は尿をとっても陰性と出て、インシュリンを打っていないが、それがいいことなのかどうかわからないと母は言っていた。今日は元気そうにしていたし、少しは良くなっていればいいのだけれど。

 

昨年大きな変化があったと感じていたのは父も母も同じで、あっけらかんと見える父も、昨日書いた後に少し話した感じだと、心の底では悩んで、心配しているようだった。父から祖母の余命が1年であることを聞いた。一緒のマンションに住んでいるが、そのようなことは聞いていなかった。たぶん母が僕の耳に入らないようにしていたのだと思う。父にとっては実の母親、ショックでないことはないはずだが、あまり感情を込めずに淡々と伝えてきた。自分で神経質と自覚しているから、深いことは考えないようにしていると父から一度聞いたことを思い出した。

 

いろいろと感じることの多かった今回の帰省ではあったけれど、このタイミングで帰ってよかった。帰る前に元気な猫の姿を見れてよかったし、元気な猫と触れ合って明るくなった母の顔を見れたのもよかった。

過去でもなく未来でもなく、今を生きたいと改めて強く感じた。