Life Itself

生活そのもの

2018/01/01

元日の今日は10分ほどコンビニ行った時間以外は1日中家にいて、ゆっくりと過ごしていた。特に昨日までと何か変わるわけではないけれど、年賀状を受け取ったり、正月の特番なんかを見ていると、なんとなく新しい年を迎えた気持ちになる。

 

18時くらいに母に電話をして、妻と一緒に新年の挨拶をした。

電話に出た時の母の声が思いの外高くて、すぐに弟家族が実家に行っていることがわかった。姪と遊んでいるといつもそんな感じの声色になるので、弟家族がいるのかと尋ねるとそうだとやはり答えたが、どこかいつもと少し様子が違う。明らかにろれつが回っていないのだ。「酒飲んどると?」と聞くと、「そうよ、だいぶ飲んでしまって。遊びに来てくれているこんなときしか飲むことできないからぁ」とまたろれつが回っていない高い声で言う。酒の強い母がろれつが回らないほど酔っ払う姿を僕はこれまで見たことがない。年を重ねて酒に弱くなってきたことは聞いていたけれど。声が高くテンションもいつもと違っていて、酒に酔った大人というよりは、むしろかなり若い、それも僕よりも10以上年が離れた、言ってしまえば子供と話しているような感覚を覚えた。姪の世話をしていたことも関係しているのだろう。義妹と2人でシャンパン1本とワイン2本を開けたらしい(僕からすると結構飲んでいるが、それくらいで酔っ払う母ではなかった)。

 

よくよく聞くと糖尿病持ちの猫の体調が良くないらしく、それでまいっているようだった。母がインシュリンを1日に2回打っているのだが、血糖値が安定しないらしい。昨年の11月あたりからずっとインシュリンの注射を毎日打ってきていて、血糖値を見ながらインシュリンの量を調整しなければならず、その量を間違えれば下手すれば命に関わるから本当に大変だということを聞いていた。母1人で猫の命を預かっているようなもので、ストレスも相当あったのだと思う。電話で話すと毎回最後まで面倒を見るつもりと気丈に話してはいたけれど、これまでかなり無理していたのだということを年が明けて改めて知ることになった。

 

年を明けても何かが劇的に変わるわけではない。昨年から続いていることは年が変わってもそのまま続いていく。そんなことはわかってはいるけれど、年が明ければ、という思いは誰でも持つものだと思う。僕もある。特に自分でどうにもできないことは、どうか変わりますようにと祈るしかないのだ。だから、僕も猫のために祈る。