Life Itself

生活そのもの

2017/12/21

今は違うけれど、毎日ヨガをしていた時期があった。今思い出しながら書いているので、当時感じていた感覚とは異なることを前提で書くとするが、ヨガを毎日やっていると、その時々で感じる身体の印象が全く異なることに気づく。それどころか、心の印象まで違っている。今日はここが身体のここが詰まっているな、とか、このポーズはしっくりくるな、とか、あー今日は集中できない、とか、ヨガをしているのに違うことを考えているな、とか感じることは様々だ。でも、毎日やるからこそ生じる変化というのもあって、それは単純に言えば身体の柔軟性ということなのだけれど、柔軟性が深くなってくるにつれて、一つ一つのポーズをより繊細なところまで意識できるようになってくる。毎日やると以前はできなかったポーズができるようになったり、同じポーズをやり続けることでルーティン化してしまう部分もあるけれど一方では余裕がでてくるからかゆっくりと正しいやり方でできているか点検しながら練習することができるようになる。

 

今では毎日ヨガをやってはいない。数日に一回やる程度だ。そのかわりでもないが、毎日書いている。

毎日書くというのは、毎日ヨガをやることとは異なる。もちろん毎日感じることや考えることは変わっていくので(果たしてそうだろうか)、日々の変化というものは感じるが(繰り返しではないだろうか)、過去との繋がりを確実にある。書く時は、大抵過去のことを振り返りながら書く。その時の感覚で書くという意味においてはヨガと同じように「今」の感覚であると言ってもよいが、その内容はいつだって過去のことだ。それは文体だってそうだ。毎日書くうちに自分の中で書きやすいように文体が固まってくる。使う言葉だって、同じ言葉が何回も出る。よく言えば、すらすらと書くことができるようになってくる。すらすらと書くことができるのは、書き方がパターン化してしまっているからだ。

毎日書いていると言っても仕事を終えてからの1,2時間で書く内容なので、その質にこだわることはできない。なんとか毎日書き続けるしかない。でも、書くことがパターン化していくのは避けたい。ひっかかりがほしい。いや、時間をかけすぎる余裕はない。今日はそんな板挟みの気持ち。