Life Itself

生活そのもの

2017/12/13

今日、父が福岡へ来た。要介護の祖母と妻の見舞いのためである。

 

父は大学の時、映画研究部に所属していたので、会うとよく映画の話になる。今日はブレードランナー2049や、大島渚深作欣二などについて話した。僕が知らない映画をよく知っていて、話も上手いので、聞いていると楽しい。

 

まずは妻の見舞いをして、その後、一緒に祖母の家に行った。要介護と言っても、まだまだ自分の足で歩けるし、会話もしっかりできる。ただ、心臓の機能が低下しているらしく、苦しそうに息をして、動作もゆっくりだ。もうすぐ89歳という年齢を考えると、要介護であるとしても元気と言っていいと思うが、父は2ヶ月に1回ほどは祖母に会いに必ず福岡にやってくる。

 

もう亡くなって10年以上経ったが、祖父はとても厳しい人で、僕はいつも敬語で話さすように言われていた。今だって、祖母と話す時には敬語で話す。他人にこのことを話すと珍しいと言われるが、どうだろう。祖父は僕に対しては優しかったが、それでもよく声が小さいと怒られていた。一人で祖父の家に行くということはほとんどなくて、いつも母か父が一緒だった。

僕が物心ついた頃から、父は祖父が設立した会社で働いていて、傍から見ていても、父と子という関係以上に、社長と従業員という感じで接していた。仕事以外の会話をしていたことはあまり見たことがない。父も祖父に対して敬語で話していた。社長と従業員という関係上、当たり前のことだったのかもしれない。

祖父は癌に冒されて、最後はホスピスで亡くなったが、最後まで仕事の話をしていたそうだ。ホスピスに入ってからは残念ながら祖父に会う機会はなかったが、その姿は想像に難くはない。末期の癌だったので、だるさや痛みもあったと思うが、決して弱った姿を見せず、最後の最後までしっかりと頭を働かせて、父には色々と会社の指示を与えていたという。父が部屋から出る時には、「お疲れ様と言え」と叱ったそうだ。祖父らしいエピソードだと思う。

 

仕事以外の話をほとんどしない祖父だったけれど、一度高校時代の友人と一緒に家に泊まりに行ったことがある。なぜそのような経緯になったかは忘れたが、祖父はその時すごく機嫌が良くて、友人と3人で一緒に酒を飲んだことを覚えている。そのときには祖父はほとんど酒を飲まないようになっていたようで、祖母は「酒を飲むことなんて、もう今ではなかとよ。パパはすごく楽しいげなて。」と言っていた。久しぶりに思い出した、懐かしい。祖父が心からリラックスしていた姿を見て、そしてそんな祖父と接したのはおそらくその日が最初で最後だったと思う。

 

今日、祖母の家に行って、その時祖父と一緒に酒を飲んだ椅子のあたりを見ていた。当時も何冊か本を読んでいて、いくつか紹介してくれたことを覚えている。ただ、今日見た本は、どれも祖父とはあまり結びつかない本だった。チェスの本と囲碁の本、そして六星占術の本。チェスに関しては、チェス台の机を何年か前にもらったので、そういうことだったのかと納得したけれど、チェスや囲碁をしていたと聞いたことは一度もない。友人もそんなに多くなかったはずだが、誰としていたのだろう。祖母としていたのだろうか。

一番驚いたのは、六星占術の本だった。僕が知る祖父の姿からは、占いに興味を持つ姿さえ想像ができない。まったく否定するつもりはないけれど、どのような思いでその本を買ったのか尋ねてみたい気持ちになった。

数年前から、僕は祖父のことをほとんど知らないこと、もっと話しておけばよかったと後悔するようになった。それは不可能だ。

 

妻が妊娠してから、母から当時僕を身籠っていた時の話などを聞くようになったが、どれも初めて聞く話ばかりだ。考えてみれば、僕が生まれる前の母や父のことも、断片的には知ってはいるけれど、中高・大学の頃の話など、所謂青年期の話は詳しく聞いたことがない。興味はあるが、今さらどのように聞けばいいのだろう。僕はまだ見ぬ自らの子供に、そういったことを伝えることはあるのだろうか。