Life Itself

生活そのもの

2017/12/11

このブログは日記のようなもとして捉えているので、外に向けてというはあまりなく、僕自身が読み返すものとして、内に向けてのものとして書いている。だけど、ブログといった形で発信しているわけだから、内に向けたものではあっても完全に外へ開かれている。ブログという性質上、非公開日記というわけにはいかないので、誰かが読む(かもしれない)ということを想定しており、実際に読んで反応してくれると嬉しいし、どこかで読んでくれることを期待もしている。自分に対して書きつつも、この考え方ってどう?共感できない?と半ば投げやりに他人に問いかけているところがある。

 

ここで書き始めて、毎日書くということはつくづく大事なことだと実感している。肝心なのは、必ず自分の言葉で書くということだ。自分の言葉で書かない限り、読むに値するものにはならない。それは自分にとっても、おそらく他人にとっても。誠実に自分の言葉で書いてさえいれば、あとで読み返した時に興味深いものとなり、今の感覚と通ずるところや全く違うところがわかる。過去の視点と今の視点を持つことができる。

 

ここで書いたことを読み返すと、確固たる自分などというものはないのだと気づく。日々考え方は変化していて、前に書いたことと全く正反対のことを書いていることもある。どこかで読んだり、誰かから聞いたことに感化されて、それを一回内に入れて外に出す。自分という媒体を通しはするものの、あくまで仲介役に過ぎず、だから外に出たものは必ず変化している。内に入れて外に出す、外からまた内へ、この繰り返しが大事なんだと思う。

 

毎日書くということは、基本的には「今」を書いているということだ。前の出来事について書くことも多いが、その出来事を考え、書いているのは「今」で、必ず「今」の感覚が反映される。何かから感化されて出来上がった「今」の感覚が。