Life Itself

生活そのもの

2017/11/14

今日2週間ぶりにヨガのレッスンを受けた。

この2週間、運動らしい運動を全くしていなかったので、久しぶりにしっかりと汗をかいた。汗をかくというのはやはり気持ちが良くて、ヨガから帰ってきた今、体は2週間で一番スッキリしている。整骨院で施術を受けた後よりも、ヨガをして汗をかいたあとの方が何倍もスッキリしていると感じる。汗をかいただけでなく、ゆっくり深く呼吸を行ったことで、体が浄化されているのだろう。

 

ヨガをやっている間は、いろいろな気づきがある。それは今までの経験で知っていることではあるけれど、同じ気づきというのはないので、ヨガをやるたびに気づきが生まれる。気づきというのは加算されるものではなくて、更新されるものでもない。あくまでその時の体の状態、心の状態で気づきが生まれるのであるから、その時、その瞬間だけの1回限りの気づきである。

 

今日はシャバーサナ(ヨガを一通りやり終えた後の屍のポーズ。死体の疑似体験と言われる)をしていて、体と心に大きな違和感があった。汗をかいて、心拍数も上がった後のシャバーサナで、いつもであればリラックスができるはずであるのに、全くリラックスできない。それどころか体の隅々まで張り詰めているような感覚があって、不快で、何を考えていたかは忘れたが常に頭の中で思考していた。その状態が5分ほど続いた時、ふと顔に意識を向けると顔全体が中心に寄っていることに気づいた。眉間には皺が寄り、目を強く瞑り、口は少しすぼんでいた。これではリラックスできるはずがないと思って、顔全体を緩めて中心から離すようにすると、体隅々まで行き渡っていた緊張がすぐになくなった。

 

ヨガは体の中心(コア)に意識を向け、そこを鍛えていく。体の中心を鍛えると、普段の姿勢が良くなって体への負担が減るので日常の生活が楽になっていく。今日ひさしぶりのヨガで体の中心に意識を向けたことが影響したのかはわからないが、顔までなぜか中心に寄ってしまっていた。それが体全体にまで及び、こわばりが出ていたのだろう。

考えてみれば、仕事の間はパソコンの画面しか見ていなくて、上半身はパソコンと対峙するような状態で、なんとなくパソコンの画面が両肩と両手に結びついて常に三角マーク△を形づくっている。さらに、パソコンを見ている間は全体の画面を見るのではなくて文字を追っていくことになるから、パソコン上の文字を頂点・中心として両目と結びついて別の△が出来上がっていることになる。仕事中、そして今これを書いている間でも、パソコンを使い続ける限り、この2つの△から逃れることはできない。パソコンを使っている間、知らず知らずのうち体の中心から離れて、別の中心に意識が向いていたということだ。特に目はパソコン上の文字を追っているうちに、1時間もすれば眉間に皺が寄ってしまっている。目に負担がかかるから、顔の他の部分もどんどんこわばっていく。たぶん顔が弛緩しきった状態でパソコンを見る人なんていないんじゃないかと思う。パソコンを見ている限り、その中心から逃れることは難しい。

 

体の中心を意識してヨガをやったこと以上に、2週間運動もせずに仕事でパソコンを触り続けたせいで、顔のこわばりが取れづらくなっていたのだろうと思う。むしろ体の中心を意識したおかげで、顔のこわばりとして表れた他の中心に気づけて、久しぶりに顔を緩めることができたのかもしれない。

 

ヨガで体の中心・軸に意識を向けるように言われ続けてきたけれど、普段は他の中心にとらわれ続けていたなんて今日まで思いもしなかった。

自分のデスクで、パソコンの周りにアニメキャラクターのフィギュア等を置いている人は結構多いが、パソコン以外に視線の逃げ場を作るという意味で、そういうことはすごく重要なことなんじゃないか。オフィスでは、それぞれの席にパソコンが置いてあるから自分のパソコンから視線を上げても別のパソコンが視界に入る。どこか逃げ場がない感じがある。パソコンのすぐそばであれば、それは視線の逃げ場になって、少しは顔のこわばりも軽減されるのかもしれない。