Life Itself

生活そのもの

2017/11/10

とりあえず毎日考えたことや起こったことを書き記すためにブログを始めたが、日々書くべき出来事が起こるわけではなく、何事もなく時間が過ぎて1日が終わることがほとんどだ。

旅行や出張に行って非日常の空間に身をおくと、感覚がいつもより敏感になるのか、様々なことを考え、発見が出てくることが多い。が、日常はそうではない。大した出来事もなく、ただ何も考えずに過ごすことはとても簡単で、もし何も考えずに1日が終わったところで罪悪感を覚えることもない。

まだ数回しか書いていないこのブログでも、何回か出てきた(はずの)「条件付け」という言葉。日常は条件付けされたもので溢れている。条件付けとは、過去の経験が積み重なってくることで自分の中で出来上がった癖や反応のこと。過去の積み重ねで、身の回りのことに既出感があるからこそ、何も考えることなく、条件反射的に対処することができる。

考え方にも条件付けはあるし、体にも条件付けがある。ヨガでは、この条件付けされたものを解放することが一つの目的であるようだ。

条件付けされた考え方の多くはつまらない。所謂決めつけである。思考停止。そこから先に進まない。いつもそのようにやっているからというだけで行い、そこに意識を向けることすらない。

僕も毎日やっているわけではないけれど、ヨガをやっていると毎日体は変化していることに気づく。体の硬さや張り、呼吸の長さ、意識の向きやすさ。ヨガは必ず呼吸に意識を向けながらアサナ(ポーズ)を行うが、呼吸をするごとに少しずつ変化が出てくることに気づく。気づきは、条件付けされたものを解放する。

ヨガをやるように、身の回りにある一つ一つのものに対して、意識を向け、気づきを与える。日常から気づきを与えていくことは一見難しいように思えるけれども、それは自らの意識次第である。