Life Itself

生活そのもの

2018/12/10

昼休み中に妻が動画を送ってきて、なにかと思えば赤ん坊が寝返りしている様子を撮ったものだった。これまでにも寝返りをしていそうで、僕らがいないときにどうやらしているらしことを日記にも書いてきたが、今日、初めて寝返りをするところを見た。昼間だけでも10回以上寝返りをしたらしく、僕が帰宅してからも1回寝返りを見せてくれた。寝返りできるようになったことでますます大変にはなるだろうが、とても喜ばしい日だ。
 
最近、父と母がスマートフォンに機種変更をした。スマートフォンと言っても、らくらくホンである。父はAV(オーディオ・ヴィジュアルね)機器オタクであるが、スマホやPCにはとても疎い。母に至ってはほとんど携帯の電源を入れることもなかった。先日、母かららくらくホンにしたことの報告があって、少し嬉しそうにちょっと勉強しないとね、なんて言ってたのだが、さてどうだろうと思ったのだが、今日母からメッセージが届いた。Apple Watch上に通知が入ったのだが、仕事中で返信するこもできずにほうっておくと、直後に電話がきて、またメッセージそして電話と立て続けに3回続いた。
トイレ休憩の時間に母に電話をするとメッセージが届いていないと思ったらしく、何度もメッセージを送ってきたらしい。なんというか、とても可愛らしい感じがする。
しかし、母から今後メッセージが送られてくるとして、どんな返信をすればいいのだろう。休憩時間にメッセージ返信したほうが早かったのだけれど、なんとメッセージしたらいいのかわからなくて電話したのだ。ガラケーだが、父はメッセージの送受信の仕方を2年ほど前に覚えて、たまにメッセージでのやり取りをしている。父への返信も困るのだ。敬語にしたらいいのか、「!」などつけたら良いのか。絵文字を使うなど到底無理な話だ。メッセージの送り方を覚えて、これから母もメッセージで連絡してくることも考えられるが、どのように返信していこうか少し困っている。
らくらくホンに変更したことで、LINEで連絡することができるのは非常に便利である。赤ん坊の写真を現像して1ヶ月に1度ほど渡していたが、これからは撮ってすぐにそのままLINEで送ることができる。スタンプが使えたら楽なのだが、母にはさすがにスタンプを使うことはできないなぁ...

2018/12/09

昨日、壁紙の張り替えで家がすっきりしたことを機に、ずっと保留になっていたベッドの移動を行うことになった。同じマンションの別フロアに住む祖母の家への移動で、今後は父が福岡に泊まるときのためのベッドとなる。
 
今まで僕はそのベッドで寝ていた。というのも、赤ん坊がいつ夜泣きするかわからないことから、ベッドを別部屋に置き、そこで寝るようにしていたのだ。いつ始まるか、そもそもあるのかすらわからないが、赤ん坊の夜泣きに備えそこで寝起きし、そして夜泣きが終わるタイミングで移動する予定にしていた。ところが、昨日の勢いで僕の寝場所がなくなってしまった。
 
赤ん坊と妻と同じ部屋で寝るしか仕方がなくなり、昨夜から一緒に寝ることになった。
環境が変わったからかなかなか寝付けることができなくて、また寝てからも何度も目が覚めた。目が覚めるたびに赤ん坊の寝息が気になる。寝息の音の大きさではなく、その小ささに対してである。耳を澄ましてようやくわかる程度で、それが妻の寝息か赤ん坊の寝息か判然としないが、寝息が聞こえることに安心してようやく一眠り。その一眠りも長くは続かず、すぐに目を覚ましてはまた寝息に耳を立てる。その繰り返しを無意識にか自動的に行う。そんなだから、夢のなかででも赤ん坊の寝息を確認していて、夢と現の間にずっといるような感じだった。
早朝、赤ん坊の泣き声で夢現から目が覚めた。泣くということは元気である証拠だ。目は覚めたが、そこで夢現から解放されて、妻がもそもそと動いて赤ん坊をあやし始めると心から安心し、やっと熟睡することができた。熟睡時間2時間足らず。まぁ、そんなものだろう。
 
起きたときにすぐ横に赤ん坊と妻がいるというのは、寝不足であっても幸福感を覚えるものである。今日一日、忙しく仕事していたが、幸福感からかいつもより疲れは感じなかった。ナチュラルハイなのかもしれない。昼休み時には買い物に来た妻と赤ん坊と一緒にランチを食べたのも良かった。

2018/12/08

今日は休みだったが、壁紙の張替えで15時まで家の1室にいる必要があり、何もできなかった。が、狭い空間で3人で長時間いることもなかなかないので、暇ではあったが、全く苦痛ではなく、むしろ心地よい時間であった。
一昨日までは暖かったが、昨日の夕方に散歩に出かけると顔が痛くなるほどに冷たい風が吹いていて、スイッチで切り替えたように1日で秋から冬へ変わったような感じだ。今日は昨日に増して寒いが、昨日の散歩で体が慣れたのか、寒いのもとても気持ちよく感じる。もっとも、日が暮れてから外に出るとなるとまた別の話だ。冬の夜はネオンがない限り辛い。
 
冬になるとどれだけ着込めばいいのか、どのコートを着ればいいのか迷って、つい着込みすぎてしまう。昨日思い出したのだけれど、大学の頃、ゴルフコースで働いていたときには長袖のポロシャツの上にフリース、そして薄手のジャンパーしか着ていなかった。日が昇って働き始め、日が落ちる頃に働き終わるという感じで、一日中外で働いていた。九州よりも最低気温が5度以上低い場所だったが、終日外にいても風邪をひくことなく過ごすことができていたのである。凍えるような寒さではあったが、日とともに働くその環境の中で感じる寒さがとても気持ちよかった。
 
当時と比べると体力もだいぶ落ちてしまったけれど、そんなに着込まなくてもきっと大丈夫なのだ。寒さに対して警戒しすぎなのかもしれない。とは言っても風邪をひいてしまっては元も子もないので、結局はどうしても少し厚着になってしまうのだけれど。ゴルフコースでの冬の感じを思い出して、ギリギリの着込みで寒さを楽しみたい気持ちが出てきてしまった。

2018/12/07

Apple Watchを購入してから、心拍数の変化に敏感になっている。心拍数を把握することが目的の1つだったから敏感になる分には問題ないのだが、たまに意識しすぎるようになって嫌になることもある。
昨日自宅勤務をしていて、会社にいるときよりも若干心拍数が低めであることがわかった。それは自宅の方がリラックスできるので当たり前かもしれないが、やっている仕事内容には全く変わりない。環境は体に影響を与えるということだ。だが、心拍数が落ち着いているからといって、必ずしもいい仕事ができるというわけでもないだろう。人にもよるだろうが、仕事には多少の緊張も必要だろうから、あまりリラックスしすぎるのも考えものかもしれない。
 
しかしApple Watchなどで心拍数を常に監視できることの便利さに人々が気づくようになると、世の中は変わっていくかもしれない。心拍数に負担をかけるよりも、かけないように行動を変えていくだろう。
個人情報になるだろうから実際には起こりえないとは思うが、会社側がもし心拍数などのデータを管理できるようになるすると、どんなときに、どのようなことが原因で心拍数に影響を与えているか、ストレスを与えているかを把握できるようになって、働き方の改善につながったり、逆に従業員の評価や採用にも関わるようになって働きづらくなったりするかもしれない。

2018/12/06

今日は赤ん坊がBCGの予防接種を受ける日で、自宅勤務だったのだけれど、病院から2人が帰ってくるまでなかなか落ち着かなかった。赤ん坊が病気にならないためとは言え、一生跡が残る注射を打たれるのは気が重い。注射を受け終わって帰ってきてから、赤ん坊は注射を打たれるときは泣いたが、その後はあまり泣かずにじっとしていたと聞いた。僕はBCGの予防接種を受けたことがないのでわからないが、ぐりぐりと押されながら打たれると聞くし、とても痛かっただろう。赤ん坊は偉い。
 
そう、僕はなぜかBCG予防接種、いわゆるハンコ注射を打たれたことがない。小学校だったか一斉にハンコ注射を打たれていたのを覚えているが、その時僕含めて何人かは打たれなかった。僕の腕には日本人の多くにあるハンコ注射の跡がないのだ。おそらく既に抗体を持っていることがわかって、それで打たれなかったのだろう。
 
僕の父も祖父も結核を患った。どちらも症状がひどく、祖父は大量に血を吐いていたと何度も父から聞かされたし、父に関しても、中学の時の結核の入院が長引き、英語の授業についていけなくなったと聞いている。今日赤ん坊が注射を受けた医師からは、日本では結核を患う人が多いから注意するようにと言われたらしい。また、BCGの予防接種の効果が持つのは十数年だから、30代の女性は気をつけた方がいいとも言われたようだ。予防接種を受けたことがない僕はどうなるのだろう。
 
まぁとにかく、ハンコ注射を打たれて跡が残るとは言え、無事に済んだことに一旦は安心している。ハンコ注射はこれから時間をかけて腫れていって、あの跡が出てくるらしいから、経過はよく観察していかなければならない。

2018/12/05

新生児の頃の写真や動画を改めて見ると、たった4ヶ月少し前のことなのにこんな顔や仕草をしていたのかと驚いた。もっと写真や動画を撮っておくべきだったとは思うけれど、あのときは精一杯で写真を撮るよりも赤ん坊との時間を、一瞬一瞬を大切にしたいと思っていた。今でもそう思うが、あのときよりは幾分余裕が出てきて、写真や動画を撮るにも赤ん坊の反応があるので、楽しみながら撮ることができている。
 
昨日抱っこ紐をして外を歩いていると、途中で起きた赤ん坊が顔を上げて僕の顔を見てくる。妻は授乳のときによくする顔だと言ってあまり珍しそうにはしていないが、僕にはあの上目遣いをしてくることはあまりない。本を読みながら赤ん坊と一緒の部屋にいるときに、赤ん坊の頭1つ分上で横になることがあって、たまにそのときに上目遣いの表情に出くわすこともあるが、そんなときは幸運だ。
 
僕はあまり出くわすことがない表情だけれど、赤ん坊が顔を上げて見せる表情とお互いに目を合わせるその瞬間というのを僕は後々までずっと覚えている気がする。その瞬間を写真や動画におさめることはできない。うまくすればできるかもしれないけれど、その動画を見る頃には僕はその感じで赤ん坊とは顔を見合わせていない。もっと可愛い表情をこれからしてくれるのかもしれないが、今の僕にはこれ以上にない最も可愛い表情なのだ。

2018/12/04

明日から生後5ヶ月目に入る。
月齢の最終日に、毎回レコードを赤ん坊の横に置いて写真を撮るようにしている。行きつけのカフェのマスターに半年年上の赤ん坊がいて、CDを横に置いて撮っている写真を見せてもらって、成長がよく分かっていいと思い、それに倣った。毎月音楽のテーマを決めることができるのもいい。
 
今月は坂本龍一の『音楽図鑑』。おそらく今年最も聴いたアルバムの1つである。今年初めて『Media Bahn Live』を聴いて衝撃を受けた。それ以来、『音楽図鑑』をよく聴くようになった。特にA面は最高だ。
で、この『音楽図鑑』なのだけれど、写真を撮っているときに、ピアノを弾く坂本龍一の影が蟻であることに初めて気づいた。何度も聴いているアルバムなのに、ジャケットをちゃんと見たことがなかったのだ。影がなぜ蟻の姿になっているのかわからないが、レコードのジャケットで見ると蟻がとても大きく見えるのが面白い。
産まれた頃は蟻のように小さかった赤ん坊、とまでは言わないが、2700グラムのとても小さかった赤ん坊は今や7000グラム近くまで大きくなった。そう言えば、産まれてすぐの頃、『音楽図鑑』の『Self Portrait』を赤ん坊によく聴かせていた。