Life Itself

生活そのもの

2018/03/03

明日妻の祖父にご挨拶をしに平戸市の田平まで行く。

田平は僕も幼少期から幾度となく祖父母に連れて行ってもらっていて、想い出深い土地だ。祖父母の家に泊まった翌日は朝早くに起きて、佐世保から田平まで遊びに行くのがいつもの決まりだった。田平には田平公園というアスレチックなどがある大きめの公園があって、昼前にはその公園に着いて、祖母が作ったお弁当を食べた後に弟と2人で大きな公園を隅から隅まで行って遊びまくっていた。田平公園は子どもの僕らにとってはこれ以上ない遊び場だった。佐世保にもあのような公園はない。何度と行ったかわからない田平のことを思うと、今は亡くなったとても優しかった祖母のことを思い出して胸がいっぱいになる。

最後に田平に行ったのは確か僕が中学のときだったと思う。僕は思春期に入っていて、田平公園に行っても思い切り楽しむことができなかった。多分はしゃいで遊ぶのが気恥ずかしかった。弟だけアスレチックで楽しんで、僕は祖父母と一緒に弟が遊び終わるのを見守ったのではなかったか。その時、祖母が「もうここに来ても遊ぶところもなかね」と言ってきて、「うん」とだけ答えたのを覚えている。田平公園で遊ばなくなった僕を見て祖母はどう思ったのだろう。成長してしまって昔とは違うのだと感じただろうか。はしゃいで遊んでいた頃を思い出して少し寂しく感じたんじゃないだろうか。「もうここに来ても遊ぶところもなかね」と言った時も祖母は優しい表情をしていたけれど(祖母はいつだってとても優しかった)どこか寂しげで、「うん」とだけ答えた思春期の僕も成長してしまった自分が少し嫌で、もう公園で遊ぶことができなくなったことがとても寂しかった。弟が羨ましかった。

明日田平に行って何を感じるだろう。田平公園には行けるだろうか。結婚して田平にまた新しい縁が生まれることがとても嬉しい。